狸のしっぽ 2003年



「無限なる感謝」2003.2.1


家族や友達を赦せなかったり、赦してもらえないのではと自分を責めて、苦し
い気持になることがありました。
本当はお互いに、こだわりなく、素直に語りあいたいのに、なんかこじれてし
まってそうできない時がありました。
それで、「どうしたらいいんだろうね。」と友達に相談しました。

「赦しが必要なんだよね。でも、頭ではわかっていても、感情的に赦せないん
だよね。みんなそれで苦労するよね。そういう時は、言葉の力を借りるといい
んだよ。私のやっている方法は、「無限なるゆるし」と、声に出して唱えたり、
心の中で思うこと。とにかく何度でも、思いついた時はいつも、それをやり続
けるといいよ。」と、教えてもらいました。

さっそく、「無限なるゆるし」という言葉を、道を歩きながら、台所で仕事を
しながら、寝る時もふとんの中で、唱えたり、思ったりして1週間ほどたった時、
「えっそうなんだ!」と、びっくり納得するようなことが起きました。

いつも寝る前にセットしていた目覚まし時計が鳴らなくて、ギリギリのところで
とび起きて、大慌てでパートナーを会社に送り出すということがあったのです。
そして、これはいけない、ちゃんと鳴るかどうか確かめて、よし、こんどは大丈
夫と、思って寝たのに、次ぎの日も目覚ましが鳴らなくて、またしても、朝食も
なしで送り出したのです。
目覚ましが鳴らなくても、眼が覚めることもあるのに、二日ともぐっすり。もう
失敗はゆるされない。と思い、目覚ましのベルが鳴ることを確かめて寝たのに、
ついに三日目もベルがならず、(もしかしたら鳴ったのに気づかなかったか、無
意識で止めたのかもしれないけれど)とにかく私は、三日続けて寝坊をして、パ
ートナーに大迷惑をかけたのです。

そして、この出来事のおかげで、私は言葉の力の素晴らしさに心底感動したので
す。
以前なら、一日寝坊したところで、厳しく注意され、二日続いたら、怒りの言葉
がとんできて身もすくみそうになるはず。三日も続いたらどんな恐ろしいことに
なるか考えただけでふるえそうだったのに、今回はそうではなかったのです。
多少の注意はあったのに、パートナーの怒りがぶつかってこなかったのです。そ
れは私にとってまさに奇跡だと、思えるほどのことでした。
そして、「おぉ。そうだったのか!」と、気づかされたのです。

私が、ずっと「無限なるゆるし」と、唱え続けていたために、ゆるしのパワーが、
家中に充満して、それがパートナーの心にも伝わっていたのです。そのおかげで、
いつもなら、私の失敗をゆるさずに、腹をたてて、大声でどなるはずの人が、「し
ょうがないやつだなぁ、こんどから気をつけろよ。」ぐらいの感じになっていたの
です。

「これは、スゴイ!」と思った私は、さっそくこのことを別の友達に話しました。
みんな面白がって聞きながら、さっそく言葉の力をためしてみようよ。ということ
になりました。
とにかく、今ここに欲しい状態を言うことと、「無限なる」という言葉をつけるこ
とで、きっと最高にパワフルにその言葉の力が引き出されるということがわかった
ので、友達に、何が欲しいと聞きました。
Nさんが、「今、主人と息子の関係が、なんかうまくいってなくて。もっとお互い
に仲良くなれるといいんだけど。」と言ったので、「無限なる調和」って、唱えて
みたらどうかな。二人の関係も、家庭の中も調和するといいよね。とアドバイスし
ました。
「体の具合が悪い時はどうしたらいい?無限なる健康かな。」とMさんが言ったの
で、「健康もいいけど、無限なるいやしもいいと思うよ。そして、何にしていいか
わからない時は、無限なる愛がいいよ。愛はオールマイティ。愛はすべてをいやす
からね。」と、私は言いました。

と、ここまでは、去年の話です。
そして、今年になって友達と会った時、Nさんが、「やっぱり効果があったわ。な
んか前よりもいい感じになったみたい。」と報告してくれました。すぐに結果が出
なかった人は、まだまだ言葉を唱えたり、思ったりする回数が少なかったのだと思
います。
そして、私には、さらに嬉しい体験があったのです。それは、信頼しあえるあたた
かい家族になりたくて、自分の心を正直に見つめ続けてきた結果、やっとたどりつ
けたことでもありますが、言葉の力、祈りの力を深い感動の中で体験したできごと
でもあったのです。

お正月に、パートナーの実家に帰った時のことです。
山形のお母さんは、とても明るくて、面倒見のいい、ステキな人です。それでも年
をとって、ふと心細くなったり、寂しくなったりすることがあるわけで、そんな時
は、どうしても辛かった話ばかりを何度も繰り返して話すのです。それは、男尊女
卑の風習が強く残っていた時代の、農家に生まれた女性に共通した悲しい体験話で
す。
正直に言って、私はその話を聞くのが嫌でした。でもそれを聞くのは、娘としての
私の役目だと思っていました。
そして、毎年、帰るたびに繰り返された、その話を今年はほとんど聞かずに帰って
きたのです。
それは、誰も気づかない、小さな事ではありますが、私にとっては、とても素晴ら
しい大きな出来事でした。

言葉の力に気づいた私は、お母さんと居る時に、心の中で、声に出さずに、「無限
なる感謝」「無限なる愛」と、唱え続けていたのです。
自分を犠牲にして、夫や子供に尽くし続けてきたお母さんに、心からの感謝の気持
を送り続けていたのです。辛く悲しいことがたくさんあったに違いないお母さんを、
ふんわりと包み込んであげたいと思いながら、ただそばにいて、他愛のないことを
しゃべったり、テレビを見たりして、心の中では「無限なる愛」と、叫んでいたの
です。
自分の中から、愛や感謝の思いを引き出し、わきあがらせて、それを山形の家中に
充たしたいと思っていたのです。そうすることで、年をとって二人で暮らす両親へ、
目には見えない深い祈りを捧げていたのです。

そして私は、やっと気づかされたのです。
山形のお母さんは、田舎でとれた果物や、手作りの漬物、もらい物のお菓子などを
宅急便で送ってくれていたのですが、そこにいつも、衣料品が入っていたのです。
それが私の好みと合わないので、送らなくてもいいと、何度もことわるのに、やっ
ぱり送られてくるのが、正直にいって嫌だなと思っていたのです。結局ムダになる
のに、なんで何度言ってもわかってもらえないのだろうと思っていたのです。そし
てそれは自分の側からの気持で、私はお母さんの気持を思いやることができなかっ
たのです。
貧しい農家で、たくさんの姉妹がいれば、新しい服はとても贅沢で、欲しかったも
の。今の時代の私にとっては、安物で着られないと思うその服は、かつてお母さん
が欲しくてたまらなかったもの。それを私に送ってくれていたんだなぁと、今頃に
なってやっとありがたさが心にしみとおってきたのです。

「無限なる感謝」と言う言葉は、そんな風にして、私の中からあたたかい感謝の心
を引き出してもくれたのです。



「自立の春」 2003.4.1

ある日突然、パートナーのヒデさんから、「タイに転勤になった。」と告げら
れた。
まさか、そんなことになるとは、思ってもみなかった。タイで暮らすのは、最
低で3年、もっと長くなるかもしれない。
それはまるで、余命4ヶ月と告げられて、そこで一度自分の人生を終わらせる
かのような感じだった。

それもいいな、と私は思った。6月からは、生まれ変わったつもりで、想像も
つかない新しい人生を生きるのも面白いなと私は思った。
しかし、その前にやりたいこと、やらなければならないこと、越えなければな
らない課題が、どぉんと私の前にある。

今住んでいる家は、人に貸すので、長年ため込んできた色々なものを、思いき
って処分しなければならない。引越しの準備、タイで暮らすアパート捜し、さ
まざまな手続きなど、なにかと忙しい。
「狸のしっぽ」のホームページは、始めてからちょうど2年になるので、今ま
で書いてきた文章を編集して、冊子にまとめようと思う。
「わたしの歌」のベスト10を、CDに吹きこもうと思う。発展途上の未完成
な声ではあるけれど、今の私の精一杯を表現しようと思う。
どれもこれも、とてもエネルギーのいることだ。しかも残された時間はあと2
ヶ月。

今の時点で、まだ何一つ手がついていない。突然の旅立ちに家族の心が大揺れ
にゆれて、寂しさと不安のなかで、何も手につかず、ぐったりとなってもいた
のだ。
自分の心の幼さや、甘えや、ごまかしが、抜き差しならない状態で問われ、今
まで保留にしてきたことに向き合わされたのだ。

私は今までに一度も一人暮らしをしたことがない。経済的にも、精神的にも、
自立していない人間なのだ。
一人になるのは寂しいし、恐ろしい。パートナーなしでは生きてゆけないと、
思っている人間なのだ。本当は、一人でもやってゆける力を持っている大人の
私なのに、どうしても、そう思えない心があるのだ。

私の母も、そういう人だった。そして、娘も、誰かがそばにいないと、寂しく
て、不安で、怖くてたまらないと感じる人間なのだ。
そこへ突然、親は外国へ行き、住んでいた家も人が住むようになり、一人で暮
らさなければならない状況になったのだ。

自分を守っていてくれたものから切り離され、一人ぼっちになるのは、命綱を
断ち切られて、暗い宇宙空間にほおり出されるような、不安と恐怖と寂しさを
感じるものなのではないかと私は思った。そして、娘が、その心細さと寂しさ
を越えて、一人でやってみようという気持になるまでが、大変だった。それは
私にとっても試練であった。
幼い心のまま、大人になってしまった寂しがりやの私は、なんとしても、娘の
心に寄りそって、大きな安心感で娘の心を包んで、送り出そうと思ったのだ。

「お父さんが、一人で、タイに行けばいい。」と言って、泣き出す娘の肩を抱
いて泣きながら、「一緒にタイに行こう」と言った。
体調をくずし寝こんでしまった娘にずっと寄り添って、愉気をしたり、だまっ
て抱きしめていたりした。
「なんとか一人でやってみようかな」と言うようになった娘に、「困った時は、
いつでもとんで帰って来るよ。どうしても辛かったらギブアップしていいんだ
からね。会社をやめてタイに来ればいいんだよ。」と言った。
それから、色々なことを語り合った。そして、娘の心はだんだん落ち着いてき
て、一人で暮らそうという気持が育っていった。

赤ちゃんの時に、泣いてぐずると、母から折檻をされたトラウマがなかなか消
えてゆかなくて、随分苦労してきた私だ。
親にとって都合の悪いことをするのは悪い子だと心の中に刷り込まれた私は、
娘をもそのように見てしまうクセがなかなかぬけなかった。
どんな自分でも、受け入れてもらえるという安心感を体験した人は、親から離
れ自立してゆけるけど、それが得られなかった人は、不安で寂しくて、いつま
でも親から離れられなかったり、誰かに親を投影してしがみつきたくなってし
まう。

私は色々な体験をしたことで、自分の心が何を感じ、どういう状態なのかに気
づけるようになった。そしてやっと娘の心にも気づけるようになったのだ。
以前の私なら、娘の寂しさに気づけなかったと思う。そして、親にとって都合
の悪い、不安や寂しさなど見たくはないという、無言の拒絶を感じさせて、娘
は寂しいと言って泣くことすらできなかったと思う。
一番大切な自分の子供の心を、見守ることのできない親だった私に、娘は最
後のゆさぶりをかけてくれたのだ。

そして、この春、私達との別れを惜しんで、山形の両親が我が家を訪れた。今
年大学を卒業した息子も帰ってきて、私達は6人で南知多の篠島に行って一泊
した。
その帰り道、私は息子を誘って、バンジージャンプをした。
「勇気を出して、心の中の寂しさや不安や恐怖をみつめ、それを受け入れ、感
じること。そして、それを越えて、新しい世界へと飛びこんでゆこうよ。」と
自分もふくめて私達家族全員を応援したい気持だった。

バンジージャンプは、アフリカで、子供から大人になる時の通過儀礼として行
なわれているものだ。
正直言って、すごく怖かった。階段を登ってゆきながら「無限なる勇気!」と、
唱え続けた。
息子が先に飛んでくれたので、続けて飛ぶふんぎりがついた。息子も、私が後
ろで待っているから、ためらっていられなくて飛べたと言った。

そして今、私の心は少し落ち着いてきて、やっと、友達や仲間に、このことを
報告できるようになった。
息子は、この春から、社会に出て、色々なことを体験して、自分を育ててゆく。
バンジージャンプをやったことは、彼にとっても、いい体験になったと思う。
娘は、少しずつ引越しの準備をし始めている。寂しさはあると思うけど、明る
く前向きに、楽しいことを考えるようになってきた。そんな娘の姿を見ている
と、心の中から、いとおしくて、いとおしくて、たまらない。という思いが込
み上げてくる。



「わたしの平和活動」  2003.4.5   

たとえば、人を非難したり、対立する思いを持ったままでの、「平和活動」は
プロセスとして必要かもしれませんが、真の平和をもたらしはしないないと思
います。

戦争を推し進めている人が悪いのだ。と言って、戦争に反対するのではなく、
ただひたすら、平和であることを願い、平和でありますようにと祈り、おだや
かで、明るくあたたかい波動をひろげてゆくような「平和活動」を私はやって
ゆこうと思うのです。
なぜならば自分が発した想いの波動は、同じ波動と共鳴し、増幅されるからで
す。そして、「戦争反対」という言葉さえも、反対という、否定的な波動を持
つために、それを言われた相手の反発をかうと思うのです。

結局、誰が正しくて誰が間違っているという、二元対立の世界から抜け出さな
ければ、問題は解決しないと思うのです。
ということで、私は、誰をも批判せず、この地球と、そこに住むすべての人を
丸ごと包み込みたいような気持で、ただひたすら、「世界人類が平和でありま
すように」と、祈り続けているのです。たとえば、道を歩きながらでも、台所
で仕事をしながらでも、気がついた時は、いつでも、この祈り言葉を唱えてい
るのです。

そして今私は、自分の心の中をとことん平和にしてゆこうと思っています。自
分の心の中の不安や恐怖や絶望などの暗い想念の波動をまわりに発するのはや
めようと思います。平和な世界をイメージして、それがきっと実現するのだと
信じてゆこうと思います。
きっと戦争になるのだ。さらにひどくなるのだ。と、思ってしまうと、その想
いがそうした現実をひきつけ、より確実にそうなる世界を創ってしまうと私は
思うのです。だから、今何が起こっていようと、平和の波動、明るい波動を発
して、平和な世界を創ることにエネルギーを与えたいと、私は思うのです。

今私が、このように考えるようになったのは、自分の心の闇をとことん見つめ
続けてきたからです。
私の心の中には、本当に否定的な暗い想念がぎっしりつまっていました。自己
否定、自己嫌悪、罪悪感。そしてその裏返しで、人を否定し、差別し、攻撃す
る。そういう心を持っていながら、それに気づかずに、きれいごとばかり語っ
ていた私でした。正義を語り、平和を語り、信じる神のためといいながら、戦
争をやり続けているいる人達と、同じことを、私は自分のまわりの人達にやっ
ていました。

なぜそんな私だったのでしょうか。
そのことをつきつめてゆくと、権力のあるものにとって都合のよい存在であれ
と、心と体にたたきこまれ信じこまされ、マインドコントロールされ続けてき
た、人類の悲しい歴史に行き当たります。それは、親から子へと伝えられ続け、
私にもしっかりと引き継がれていたのです。

戦争の責任は、私達一人一人にあるのだと思います。少数の権力を持った人達
に依存し、支配されてしまう体質、どうせだめだとあきらめたり、批判はして
も、結局自分は何もしない、そういう私達の心のあり様が、平和を遠ざけてし
まうのではないかと思います。

私達の大半は、自分を弱い存在と信じこまされ、自分で考えずに、権威のある
人や、常識とされてきた多数派の考えに合わせてしまう、マインドコントロー
ルから、目覚めていないのではないでしょうか。そして、私達の潜在意識の中
には、支配され、しいたげられてきた人間の暗い想念、自分のいのちを抑圧さ
れていることへの反発としての暴力的な想念が、うずいているように感じます。

たとえ戦場にいなくても、平和な日常に生きている私達の心の奥にも、戦争を
起こす波動がうずいているのではないでしょうか。そして、私達の心の奥に潜
んでいる、そうした無意識の想念波動の集積が、戦争を選んでしまっているの
ではないでしょうか。表面の意識では、誰だって戦争はいやだと思っているに
もかかわらず。

今私はこのように考え、いつでもどこでもできる「平和活動」として、「世界
人類が平和でありますように」という祈り言葉を自分の心の中に響かせていま
す。そして、平和を願い、色々な形で行動している人達を祈りのエネルギーで
応援しつつ、そうした人達と出会いつながってゆき、きっとこの世界を平和に
してゆこうと思っています。



「狸の置き土産」  2003.5.25


「どうしたらいいのか、わからなくなった時に、あと三年の命なら、あと三ヶ
月の命ならと、自分に問いかけてみるといいよ。そうすると、自分が本当にや
りたいことは何かが見えてきて、自分を生きることができるよ。」と、友達が
教えてくれた。

確かに私達は、ずっと先のことまで考え過ぎて、今を犠牲にして生きてしまい
がちだ。時間を限定することで、今ここの自分にとって余分なものを捨てて、
より自分を大切にして、生き生きと生きられると思う。
と、頭ではわかる。でも実際にはなかなかそんな風に想定して生きることがで
きないものである。不安や恐れがあって、どうしても、その一歩を踏み出す勇
気が持てなかったりする。

ところがありがたいことに、今回私は、まさに否応なく、その状況に置かれた
のである。
タイで三年ほど暮すことになるし、それを知らされた時は、日本で暮すのもあと
三ヶ月、そこまでで自分の人生を一度終わらせようと、思ったのである。

あと三ヶ月で引っ越すために、今までため込んできたものを捨ててゆく作業は、
とても、時間とエネルギーのかかるものである。それは、自分の心の中の執着
や、不安や恐れに向き合い、それを断ち切ってゆくということでもあり、心が
ゆらいだり、痛んだりもするのである。そして、人の物なら何のためらいもな
く捨てられても、自分にまつわるものを処分するのは、本当に辛いということ
がよくわかった。

そして、なかなかはかどらない、そういう作業の合間をぬって、仲間や友達と
お別れをしたり、長いことご無沙汰をしていた、かってお世話になった人に、
お会いしたりもした。
さらに、過去に色々な活動をした思い出の場所に行くことになったりもして、
その場所に感謝したりもした。

そういう日々を送っているうちに、「あと三週間の命」という状況になって
きた。
「まだ一番肝心のことをやれていない!」
それは、自分の夢をかなえること。私は、自分の歌のCDをつくることが夢だ
ったのだ。
しかし、ざわざわと落ち着かない日々の中では、なかなか歌おうという心境に
なれなかった。それに少しでも後のほうが、いい声で歌えるのではないかと思
っていた。でも、歌を吹きこんだテープをCDにしてもらったり、それを発送
する時間を考えると、もうこの辺がギリギリのタイムリミットであった。

ということで、5月20日に、一日かけて、私は歌をダットのテープに吹き込
んだ。そして21日に、音楽教室に、テープを持っていって、色々打ち合わせ
をした。
「間に合った!これでもう思い残すことはない!」と、私は思った。
自宅で、一人で、アカペラで歌っただけのもの。それもまだ発展途上の未熟な
声で、高音部はかすれそうになりながら歌ったのだけど、それは、今の私の精
一杯であり、今日まで生きてきた私の集大成でもあり、自分としては、「これ
でよし!」と、思えたことが、嬉しかった。

ということでこの歌を聴いてみたいと言ってくださる方に、「狸の置き土産」
として、プレゼントしたいと思います。
そして、もし、聴いてみて良かったら、ダビングをして、お友達とかにも伝え
ていただけるといいなぁと思っています。
申し込みは、2003年5月31日までに、住所氏名をFAXでお知らせ下さい。

そして、今回吹きこんだ歌は、2000年に、私が発行した「わたしの応援歌」
という本と、ワンセットのつもりでつくったものでもあります。よろしければ、
本もプレゼントさせていただきますのでお知らせください。



「狸のおすすめ」2003.6.1


6月7日までで、一度自分の人生を終わりにしようという気持で生きているの
で時間がとても貴重だ。
いよいよ、あと1週間!引越しの準備で忙しいけれど、自分を振り返る時間は
大切にしている。

私がずっと自分に問い続けてきたことは、「子供を信頼して、あるがままに受
け入れることができるか?」ということであった。そしてそれは、とりもなお
さず、私が自分自身をそのように思えるか、ということでもある。

今回、私とヒデさんがタイへ行くことになって、娘は不安と寂しさにゆらぎな
がらも、一人暮しを始め、自立しようとしている。そんな娘に私は、「勇気」
と「希望」をプレゼントしたいと思っていたのかもしれない。
ということで、私が実際にやったことといえば「バンジージャンプ」と「CD
をつくる」ことだった。
今思い出しても怖かったし、不安だったけれど、どちらも勇気を出して、一歩
踏み出したことで、自分を信じることができるようになった。そして自分がや
ろうと決心したことは、必ず実現するのだという確信が持てるようになった。

ずっと一緒に暮らしてきて、ある日突然、親が居なくなり一人で暮らさなけれ
ばならなくなった時の、恐怖と不安と寂しさを越えるには、世界を信頼できる
心になる必要があると私は思った。この世界と自分は一つにつながっている、
世界は自分を支えてくれている、そして自分も世界を支えているということを、
知識としてではなく、体で実感として体験しなければ、本当に世界を信頼でき
るようにはならないと思った。そして、それは一人暮しを始める娘のためだけ
でなく、言葉の通じない外国で暮らすことになった私にとっても、必要なこと
だった。

それをどのような方法で体験するかは人によって違うけれど、私は世界を信頼
してその中に自分を投じてゆける自分になるために、「バンジージャンプ」を
してみようと思ったのだ。
飛び降りる瞬間は、本当に勇気が必要だった。途中でやめようかなと心がゆら
いだりもした。でも、ここを越えることが、自分の可能性を大きく開いてゆく
ことにもなると思って、私は飛んだのだ。
そして、この体験は確かな力を私に与えてくれた。

自分の歌のCDをつくることは私の夢であったけれど、どうせつくるのなら、
ある程度自分で納得できるくらい上手く歌えるようになってからにしようと思
っていた。それでも、タイに行くことになった時、今、日本にいる間につくら
なければ、この先どうなるかわからないと思った。たとえ発展途上の声であっ
ても、今ここで歌おうと思った。
私の体はまだ本調子ではないし、体力がないので、苦手な高音部を歌う時の体
の支えが不充分で、かすれたりのびやかさがなくなる。他にも、色々欠点があ
る。
それでもいいと私は思った。私は歌いたい。今ここの自分を表現したい。そし
て、そういう私の歌でも、聴いてみたいといってくれる人に聴いてもらいたい
と思った。

そして、私はしばらく迷ったけれど、その気持をそのまま、今まで縁あって出
会った、友達や仲間に「通信」を発行することで伝えた。
その「通信」を発行する時も勇気が必要だった。まだ何一つ形になっていない
し、歌えるのかという不安があった。時間切れでやれないということもありう
ると思った。でも、とにかく一歩踏み出さなければ何も始まらないと思った。

そして、その「通信」を発行したことで、ほんの数人ではあったけれど友達か
ら、私の歌を聴きたいという手紙がきた。
そのことが何よりの励ましとなって、私の心の中に「よし、歌おう」という気
持が湧き上がってきた。

そして、私は5月20日に一日かけて、歌い続けた。自宅で、一人で、テープ
に吹き込んでいったのだけど、一曲をこれでいいかなと思えるまで歌いなおし
ていると、もう声がでなくなって、休み休み、自分を励ましながら歌った。
その時私は、以前友達が写してくれた私と、ヒデさんと、娘が写っている写真
を見ながら歌った。そこに写っている娘の笑顔がとてもステキで、何よりも私
を応援し、励ましてくれた。そしてもちろん、そこにはヒデさんも笑顔で写っ
ていた。そして、友達が送ってくれた手紙も、そこに置いて、心にわきあがっ
てくる、「私は家族や友達のことが大好きなんだ」という思いを込めて歌った。
もう少し声がでるといいのになぁとか思ったりもしたけれど、歌い終えて、私
は「これでよし」と、思った。
大きな仕事をやり終えた後のような、充実感とさわやかさがあった。

CDをつくると、みんなに向かって宣言したことは、世界に向かって自分を開
いてゆくことであった。そして、そのことによって、私を励ましてくれる人や
色々とサポートしてくれる人に支えられて、一人ではできなかったことができ
たのだ。

そして、今振り返ってみると、いつのまにか私の心の中から、娘のことを心配
する思いが消えていた。どんなことが起きてもきっと越えてゆける。親がいな
くても、娘をサポートする人が必ず現れて、すべてうまくゆく。娘は一人でや
ってゆけると思えるようになったのだ。そして、私も、見知らぬ土地で、楽し
くやってゆける、何の不安もない。と思えるようになった。

三ヶ月と、時間が限定されたことで、私は自分を思いっきり生きることができ
たような気がする。そして、長年かかえてきた課題をやっとクリアーできたと
思う。そして、三週間というギリギリのところで、自分の夢をかなえることも
できた。まるで奇跡のようである。

そして今私が声を大にして言いたいことは、この奇跡を起こしたものは「祈り」
である。ということです。
自分を変えてゆく一歩を踏み出すために、何よりも大切な「勇気」を自分の中
から引き出すために、私は祈り続けました。そして、自分の力を最大限に引き
出し、CDを創ってゆくために、私は何度も深く祈りました。不安や恐怖や寂
しさに負けそうな時も祈りました。毎日毎日、私は祈り続けたのです。そして、
祈ることによって、この宇宙に満ちている、エネルギーを自分の中に取り入れ
て、自分のいのちの力を引き出してきたのです。

「祈り」には、色々な方法があると思います。一番シンプルな祈り言葉は「あ
りがとう」だと思います。何にでも感謝できれば、そしてどんなことも感謝で
受けとめることができるならば、それだけで充分だと私は思います。私もそれ
を目標にしています。

自分の中から引き出したいと思う、光明の言葉を言ったり書いたりするという
のも、一つの方法です。たとえば私は「無限なる勇気」とか「無限なる愛」と
か、「無限なる叡智」という言葉を何度も、唱えたり、紙に書いたりしました。

そして私が、そのやり方を知ってから10年以上も、毎日やり続けているのが、
「世界人類が平和でありますように」と、唱える「世界平和の祈り」です。
世界中のすべてが、平和であって欲しい、地球も人類も、調和と平和へ向かっ
て進化していって欲しいというのが、宇宙の意志であり、神仏の願っているこ
とであると思います。
それと同じことを私達が声に出して唱えたり、心の中で思ったりすることで、
私達は宇宙のエネルギーと共鳴します。そしてそれによって宇宙に満ちている
愛、叡智、調和、創造、などのエネルギーが、目には見えない光のシャワーと
して私達に降り注いでくるのです。

私は、自分の心の中に、不安や、怒りや、嫉妬や、恐怖の想いが湧き上がって
きた時に祈ります。そして、困った時、辛い時、寂しい時、自己否定の思いが
出た時に祈ります。
私はありとあらゆる否定的な想念や感情を消してゆくために、この祈り言葉を
唱えてきました。もちろん、嬉しい時、感謝したい時、何かを成し遂げてゆき
たい時にも、ただひたすら「世界人類が平和でありますように」と唱え続けま
した。
本当に私は、何度も何度も、この祈りによって支えられ、助けられてきたので
す。
そして、いつのまにか、自分の心の中が平和になってきて、自己否定の想いも
消えてきて、明るく自由な心になってきて、自分の可能性を引き出せるように
なってきたのです。

さらに嬉しくてありがたいことは、この祈り言葉を唱える時、自分の心が平和
になってゆくと同時に、世界に向けて、平和の波動を発し続けていることにも
なるということです。自分のために祈っていても、ちゃんと世界の平和のため
にもお役に立っているという、まさに一石二鳥、自分も幸せ、みんなも幸せに
なってゆく「祈り言葉」だということなのです。

ということで「世界人類が平和でありますように」という素晴らしい祈り言葉を、
「狸の一番のおすすめ」としてお伝えして、もうこれで思い残すことはない。と
言いたいところなんだけど、実は一つだけ、やりたかったけど、やれなかったこ
とがあるのです。

それは、縁あって出会った仲間や友達と、一度でいいから、しっかりと抱きしめ
あいたかったということです。
近くの友達や仲間は「お別れ会」をしてくれたんだけど、私は体のことで検査の
ために年に2回は帰ってくる予定なので、その時は会おうねとか、タイに遊びに
行くからね。とかいう話になって、なんか陽気に盛り上がってしまって、せいぜ
い握手をして別れるぐらいなんだよね。
でもやっぱり、一応はお別れなんだから、私としては、体で触れ合ってお互いの
ぬくもりが一つに溶け合うような風にしてみたかったなぁ。ま、しかたないから、
イメージの中で、懐かしい人達の顔や姿を思い浮かべて、その人の幸せを祈りな
がら心の中でそっと抱きしめているんけどね。ふふふ。